玉島山 東江寺(多田薬師)
とうこうじ ただやくし
物件情報
Property information
寺院の由来
多田薬師 東江寺は、伝教大師(最澄)の開かれた天台宗比叡山延暦寺に属し、玉島山明星院東江寺と称します。
東江寺は、今を去ること約四百年前・天正十一年(1583年)江戸本所・隅田川のほとりに開かれました。
現本堂の宮殿の奥深く御厨子に安置されている薬師瑠璃光如来像は「往生要集」で有名な
恵心僧都・源信のお作と伝えられております。
この薬師如来像が多田満仲の念持仏であったことから、多田薬師と呼ばれました。
上野東叡山寛永寺の末寺として江戸三百余年の間、多田薬師として信仰を集めました。
安政の大地震その他の火災水害等にも遭わず、江戸時代・明治・大正と守られて来ましたが、
大正十二年の関東大震災には、本堂消失の憂目に遭いました。
その折、かの八角形の石櫃も、惜しくも消失してしまいました。
震災後の帝都復興計画に依り、駒形橋が新設されるに当り移転を余儀なくせられ、現在の地に移り半世紀余を経過しております。
多田薬師 東江寺は、伝教大師(最澄)の開かれた天台宗比叡山延暦寺に属し、玉島山明星院東江寺と称します。
東江寺は、今を去ること約四百年前・天正十一年(1583年)江戸本所・隅田川のほとりに開かれました。
現本堂の宮殿の奥深く御厨子に安置されている薬師瑠璃光如来像は「往生要集」で有名な
恵心僧都・源信のお作と伝えられております。
この薬師如来像が多田満仲の念持仏であったことから、多田薬師と呼ばれました。
上野東叡山寛永寺の末寺として江戸三百余年の間、多田薬師として信仰を集めました。
安政の大地震その他の火災水害等にも遭わず、江戸時代・明治・大正と守られて来ましたが、
大正十二年の関東大震災には、本堂消失の憂目に遭いました。
その折、かの八角形の石櫃も、惜しくも消失してしまいました。
震災後の帝都復興計画に依り、駒形橋が新設されるに当り移転を余儀なくせられ、現在の地に移り半世紀余を経過しております。