仏立 横浜本立寺霊苑
よこはまほんりつじれいえん
物件情報
Property information
寺院の由来
明治四十四年(1911年)横浜市に御弘通が発展し、多数の信者が出来る。
開基佛立第九世日聲上人が信者高橋亀太郎に請けおわせ、南吉田町50番地に出張説教所を開設。
大正六年(1917年)中区英町に本門佛立講説教所と改称して道場を建立。
亀井現雄師(後、佛立第十三世講有日如上人)当処の初代担任として赴任。
大正七年(1918年)信徒の増加に伴い磯子区西根岸上町に移転、大正八年(1919年)には横浜大火災、
大正十二年(1923年)には関東大震災と被災するが、翌年には再建される。
大正十五年(1926年)には本門佛立横浜親会場と認可され、昭和十一年(1936年)には、南区堀ノ内に移転、
本寺光隆寺本堂を現在地へ改築完成。
昭和二十年(1945年)横浜光隆教会の名を経て正式に明鏡山本立寺として、本門佛立宗の寺院と認められる。
明治四十四年(1911年)横浜市に御弘通が発展し、多数の信者が出来る。
開基佛立第九世日聲上人が信者高橋亀太郎に請けおわせ、南吉田町50番地に出張説教所を開設。
大正六年(1917年)中区英町に本門佛立講説教所と改称して道場を建立。
亀井現雄師(後、佛立第十三世講有日如上人)当処の初代担任として赴任。
大正七年(1918年)信徒の増加に伴い磯子区西根岸上町に移転、大正八年(1919年)には横浜大火災、
大正十二年(1923年)には関東大震災と被災するが、翌年には再建される。
大正十五年(1926年)には本門佛立横浜親会場と認可され、昭和十一年(1936年)には、南区堀ノ内に移転、
本寺光隆寺本堂を現在地へ改築完成。
昭和二十年(1945年)横浜光隆教会の名を経て正式に明鏡山本立寺として、本門佛立宗の寺院と認められる。