天王寺
てんのうじ
物件情報
Property information
推古天皇の時代(593)に、我が国の四か所に建立された四天王寺の1つであると伝えられている。
当事の七堂伽藍は焼失し、元暦元年(1184)に平泉の藤原秀衡によって再建され、運慶作の聖観音像と聖徳太子像を安置した。天正18年(1590)の大崎一揆の際に、再度火災にあい寺院は焼失したが、仏像は岩手沢城に移され、翌年伊達政宗が米沢から岩手沢城(岩出山城)に移った際に再建され、仏像も本寺に戻った。しかし明治38年(1905)にまたも火災にあい、聖観音像と聖徳太子像を失った。
現在は室町時代に作られた如意輪観音と四天王像が、町の有形文化財に指定され安置されている。境内には、正和、建武、康暦等の鎌倉、室町時代の年号板碑がある。
当事の七堂伽藍は焼失し、元暦元年(1184)に平泉の藤原秀衡によって再建され、運慶作の聖観音像と聖徳太子像を安置した。天正18年(1590)の大崎一揆の際に、再度火災にあい寺院は焼失したが、仏像は岩手沢城に移され、翌年伊達政宗が米沢から岩手沢城(岩出山城)に移った際に再建され、仏像も本寺に戻った。しかし明治38年(1905)にまたも火災にあい、聖観音像と聖徳太子像を失った。
現在は室町時代に作られた如意輪観音と四天王像が、町の有形文化財に指定され安置されている。境内には、正和、建武、康暦等の鎌倉、室町時代の年号板碑がある。