永福寺(宮城県遠田郡)
えいふくじ
物件情報
Property information
■630年もの歴史を有する姿を今に甦らせた、時宗の寺院。
武家屋敷の仕様を継承した冠木門と白壁に囲まれた永福寺は、その歴史を630年も前の、永徳2年(1383)まで遡ることができます。現在の宮城県亘理町一円を治めていた亘理肥前守行胤が、遊行12代尊観上人の教化に帰依し、亘理小堤村に一寺を建立したのが始まり。天正19年(1591年)亘理兵庫守元宋が百百村に移住の際、南郷大柳村に地を賜り建立。その後、元和2年(1616)定宗の代に現在地に寺地を賜り移りました。以後、火災、台風、地震による損傷、老朽化等により荒廃を余儀なくされましたが、本尊や前机など創建当時のものをしっかりと守り伝えながら、再興を願い続けてきました。
■やさしさに包まれ、心やすらぐ境内。
再興に立ちあがったのが、現在の53世・柴興章住職。平成18年(2006)8月工事に着手。3年の歳月をかけて、平成の大事業をやり遂げ、往時の姿を甦らせました。宮城県に10寺しかないといわれる時宗の寺院。その境内に足を踏み入れると、やさしい趣に包まれ、なぜか穏やかな心になる自分を見つけることができます。
武家屋敷の仕様を継承した冠木門と白壁に囲まれた永福寺は、その歴史を630年も前の、永徳2年(1383)まで遡ることができます。現在の宮城県亘理町一円を治めていた亘理肥前守行胤が、遊行12代尊観上人の教化に帰依し、亘理小堤村に一寺を建立したのが始まり。天正19年(1591年)亘理兵庫守元宋が百百村に移住の際、南郷大柳村に地を賜り建立。その後、元和2年(1616)定宗の代に現在地に寺地を賜り移りました。以後、火災、台風、地震による損傷、老朽化等により荒廃を余儀なくされましたが、本尊や前机など創建当時のものをしっかりと守り伝えながら、再興を願い続けてきました。
■やさしさに包まれ、心やすらぐ境内。
再興に立ちあがったのが、現在の53世・柴興章住職。平成18年(2006)8月工事に着手。3年の歳月をかけて、平成の大事業をやり遂げ、往時の姿を甦らせました。宮城県に10寺しかないといわれる時宗の寺院。その境内に足を踏み入れると、やさしい趣に包まれ、なぜか穏やかな心になる自分を見つけることができます。