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2022.09.20

地名が物語る、京都の三大葬送(風葬)地

目次

京都に存在する三大葬送地「化野」「鳥辺野」「蓮台野」とは

前回9月12日付けの本コラムで、京都の三大葬送(風葬)地について少し触れました。その話をさらに掘り下げてみましょう。京都の三大葬送地とは、嵐山の北西に位置する「化野(あだしの)」、東山の清水寺~大谷本廟付近の「鳥辺野(とりべの)」(写真上)、そして市内北部、船岡山西側の「蓮台野(紫野)」のことで、その起源は平安時代まで遡ります。疫病が流行していた平安初期、真言宗の開祖・空海(弘法大師)は土葬を奨励しますが、それができたのは皇族など身分の高い人たちのみ。貧しい庶民は遺体を野ざらしの状態で放置する風葬(野葬、鳥葬)が一般的で、化野はその一般庶民の風葬地でした(あだしは古語で「悲しい」「はかない」を意味する)。「千灯供養」(毎年8月の最終土・日に開催)で有名な、あだし野念仏寺の石塔群は、化野の山中に散在していた約8,000基の石塔を明治期に境内へ集めたものです。

現世と来世を隔てる「六道の辻」

これに対して鳥辺野は、裕福な人たちの風葬地という位置づけで、その結界は「六道の辻」として2つの石柱で示されています。一つは六道珍皇寺の前、もう一つはその少し西側(松原通沿い)にある西福寺の東角にあり、この辻より北が現世、南があの世(鳥辺野)とされます。この地区には、大谷墓地(大谷本廟の近く)や東大谷墓地(大谷祖廟の近く)があり、後者南側に位置する京都霊山護国神社には幕末の志士、坂本龍馬のお墓もあります。

太秦の近く「帷子ノ辻」が意味するものとは

そして蓮台野には、後冷泉天皇や近衛天皇などの火葬塚があり、主に皇族の葬送地となっていました。市内から北へ延びる千本通りは、蓮台野へ死者を運ぶ野辺送りの道で、沿道に数多くの卒塔婆が並んでいたことが由来とされます。なお、容姿端麗、才色兼備として知られる檀林皇后(嵯峨天皇の后)は意外にも風葬でした。檀林皇后は、仏教に深く帰依しており、自分の死後は遺体を風葬にして、その腐敗から白骨化、土に還るまでの変化を絵にするよう遺言し、諸行無常の真理を(修行に身が入らない若い僧たちに)身をもって示したという逸話が残っています。その風葬地が帷子ノ辻(かたびらのつjじ)で、死後のようすを描いた「檀林皇后九相図絵」は東山の西福寺に収蔵されています(帷子は、装束の下に着る単仕立ての下着のこと)。

間もなく紅葉シーズン。京都まで足を延ばしてみてはいかがでしょうか。